「頑張らなくていい」のか

三度の飯より猫が好き、石橋です。

今や多様性の時代。

ありのままでという言葉がヒットし

個々人の価値観を大切にしていこうという風潮。

その中で、「頑張らなくてもいいよ」という言葉がある。

石橋、これ結構危ういと思ってます。

だってさ。

極端な話するよ。

赤ちゃんに、ありのままそのままでいていいんだよ、って言ったとする。

その瞬間はもちろん、それでいい、存在していることに価値がある。

でも、そのままずっといたら、社会では生きていけない。

小学生1年生の勉強したくない、という意思を尊重したらどうだろう。

その瞬間はもちろん、それでいい、存在していることに価値がある。

勉強なんてできなくても子どもは人として存在価値が十二分にある。

でも、そのままずっといたら生きていけない。

計算もできない、文字も読めない、そんな人が大人になって大切にしてあげられるのは家族以外いない。

残酷だけど、ありのまま大人になったら、きっとその子は苦しんでしまう。

ありのままでいることは否定しない。皆人間はありのままで素晴らしい。

でも、そこには時間軸の観点がない。

今この瞬間はありのままでいい、というのは、今後もずっとそのままでいいということにはならない。

むしろ、今よりもパワーアップした未来の自分は、きっと自分のことをもっと好きでいられる。

能力を高めることまで自由、というふうにすると

結局その人が困ることになる。自分のありのままを愛せなくなる。

教育なんてある意味押し付けなんだけど、それは必要なこと

ありのままでいいから頑張る必要ない?

いや、違うと思う

ありのままの自分を好きでいるために、頑張るべきなんじゃないか。

この記事を書いた人