【埼玉栄高校のニュースについて思うこと】ソヨカふじみ野

連日、ニュースで報道されているのでご存知の方が多いかもしれません

埼玉栄高校のこの事故から感じで思うことがあります

まずは、亡くなられた生徒の保護者の身になって考えると、心が張り裂けるような傷みを感じられていると思います

受験を突破して、我が子を預けた高校で「まさか」の出来事です

交通事故ならまだ理解できるという話ではないと思いますが、なぜ高校内で…という許し難い気持ちでどこにこの気持ちをぶつけたら良いのか

高校側を訴えるとのことですが、訴えたところ、大切な我が子がかえってくることはありません

いつもそばにいた大切な存在である我が子が、ある日突然にいなくなる

そんな出来事を同じ親として受け入れられる気がしません

生徒たちの身になってみると、遊びのつもりでこんな悲しい出来事になるなんて想像さえもしていなかったと思います

ほんの軽はずみなノリで、車に乗って遊ぼうぜみたいな、少しのスリルを味わうつもりでいたのかもしれません

「誰も先生もいないから、乗ってもバレないし、ちょっとだけなら怒られないし、やっちゃおうよ」

「でもそれはやめておこう、危ない、危険だよ」

と一瞬、頭をよぎったとしても、言い出せることはなく、

「ま、いいか」

そんなふうに、目先の楽しみを追いかけてしまった

事故が起きた後に、

「これは取り返しのつかないことをしてしまった…」

「なんでこんなことしてしまったんだろう…」

「この先、どうやって生きていったらいいんだろう…」

後悔先に立たず…

本当だったらこれから1番楽しい青春時代が待っていたはずなのに、これからが一気に暗い未来に感じられてしまってるかもしれません

「まあなんとかなるでしょ」

が今回は通用しません

大切な友だちと放課後にくだらない話をしたり、アプリでゲームをしたり、一緒に遊ぶことはもうできないこと事実をまだ受け入れられないかもしれません

悲しい事故を繰り返させないために、しっかりと子どもたちに伝える

約20年、教育の現場にいて教育者として今回の件について思うことは、

このような悲しい出来事を忘れさせてはいけない、ということ

このブログもそうですが、生徒たちにも伝えていきたい

ことあるごとに。

伝えることで、ちょっと立ち止まることができるかもしれない

軽はずみな行動に対しての抑止力になるかもしれない

いつ何が起こるかわからないし、いつも大人の目があるわけではないので、

大事な自分の身を守るためには、生徒たちに伝えるべきだと思いました

もし伝えていかなかったら?

こういう出来事があったというのを人は忘れてはしまいます

たくさんのニュースに埋もれていきます

クリスマス、お正月があったら忘れてしまいます

重い悲しい出来事は人は忘れたいと思うからです

だからこそ、教育者として、ことあるごとに伝えていきたい

繰り返し繰り返し

例えば、この事故を通して伝えたいことは、

もっと想像力を働かせなさい

もし万が一〜だったら?どうする?

ノーと言える勇気を持ちなさい

悪い誘いは堂々と断りなさい

この辺りをことは大切に伝えていきたい

誰にとっても悲しい出来事を繰り返させないために、

大げさかもしれませんが、生徒たちの大事な「命」を守るために、できることを全力でしていきます

この記事を書いた人

飯塚豊(づかっち)