ある時、ピアノ奏者のモシュレスが、ベートーベンにオペラ「フィデリオ」のピアノ用の楽譜をわたしたが、その最後のページの片すみには「神の助けによって、つつがなく演奏が終わるように」と記されていた。
それを見たベートーベンは、すぐにペンを取ると、その下にこう書き記した。
「神には頼るとはなんたることだ。自らの力で自らを助けたまえ」
この言こそ、ベートーベンにとって芸術家としての生涯を通じた座右の銘となっていたのである。
※『自助論』参照
「あの先生、問題が難しいんだよ〜(だから点数は取れなくてもいいよね)」
「今回は部活もあってさ、家の用事とかもあって忙しかったから、なかなか勉強できなかったんだ〜(だからテストができなくても仕方ないよね)」
言い訳やテストが下がった弁明はしたくなる。
大人もそうだからです。
そうだよね、実際にテストが難しかったかもしれないし、部活や家の事情があり、忙しかった。
それは否定しない。
ただ、
だからテストで悪い点数を取っても良いよね、仕方ないよね、にはならない。
ここはキッパリ断定する。
なぜなら、自分に目を向ければ変えられることはいっぱいあるはずだから。
自分のテストの点数が悪い原因を、学校の先生にしたり、まわりの人のせいにしたりすることで、何か変わりますかね?
(先生、もっと簡単にテストを作ってください!勉強しなくても点数が取れる問題を作ってください!)
部活や家の事情があり忙しいというのが、事前にわかっていたなら、
その前から計画的に行動ができたはずですよね?
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そうですね、自分変えられるところはあるはず、なんですね。
うまくいかないことの言い訳をすることで、
良くないことは自分で変えられるものに目が向かないことです。
自分を変えようとせずに、まわりを変えようとする。
ん? それは、できない。
無理です。
例えば、それは雨を晴れにかえるような、魔法のようなもの、現実世界には存在しません。天気の子か。
なのに、晴れろ晴れろ!
とそこに時間をかけて、イライラしても、側から見たら滑稽に見えるだけ。
そうではなく、変えられるものに目を向けて変えていく。
変えられるものとは?自分のことです。
自分の行動です。雨が降っていたら、傘をさして雨のなか歩いていく。
テストの問題が難しいのなら、先生に勉強のアドバイスをもらう。
忙しいなら、計画予定を立てて余裕を持って行動する。
そうすることで、自分自身で未来を変えていけるんですね。
こっちの方が精神的に楽で良い。
他人に振り回されるのではなく、自分自身で生きていける。
言い訳やうまくいかなかった時の弁明をしたくなる、その気持ちはとてもわかる。
でも、その時にグッと堪えて、自分にできることはないかな?何かやれることはあったかな?
そう自分自身に問いかけられる人は、絶対に成長していけるはず
づかっちもそうしてきました