こうして、鶴瀬のエイメイは順調なスタートを切ったのだった。
(もちろんこの順調は、はたから見たら。ということで、間近で緻密な戦略を見ていたから、苦しさや不安を見ていたから、自分としては、当たり前の結果であると思っていた。)
一方その頃、みずほ台校舎は?というと、今までのように、いや!
今まで以上に熱いものをもって授業をしていた。
でも、しているつもりになっていたのだ。
当時の先生たちと一緒に飲みに行ったりすると、みずほ台校舎をこうしていきたい!
ああしていきたい!と夢を語り、先生たちには、自由にやってほしい!
責任は俺が全部取る!それが責任者だ!と、息巻いていた。
しかし、それがどん底への始まりになろうとは、このときは気づきもしていなかった。
責任者である自分自身が【責任】と【自由】を履き違えていたのだ。
《つづく》